『トロンボーン』という楽器を知っているだろうか?オーケストラだけではなく吹奏楽やジャズでも使われていて、名前を聞いたことがなくても見たことくらいはあるだろう。
この町、ラガフに住む少女セピアはトロンボーン吹きだ。薄茶色の髪と朱色の瞳を持つセピアは、町の北東にある小さな家で、付近の森に住む動物たちと暮らしている。ラガフに来る前のセピアは、大きな街の有名なジャズ楽団に所属していた。が、ある事柄を境に楽団を辞めてしまった。両親が交通事故で亡くなったのだ。楽団の中心的存在だったセピアはその悲しみに耐えられず、楽団に迷惑を被るのが嫌になり、自ら楽団を去ったのだ。一人っ娘のセピアはその時から静かに暮らしているように見えた。
しかし、セピアは一人ではない。
森の動物達が居るから?そうではない。確かにまわりの動物たちとは仲良しだが、セピアには彼ら以外に特別な存在が居た。
銀色のドラゴンだ。トロンボーンの楽器変化ドラゴン、名はセルリアンという。大きさはセピアの肩に乗る程だが、その月色の瞳からは神秘的な光を放っていた。魔力によって形成されだ特別な存在。そして彼の仲間は、もうほとんどこの世界に存在しない。
世界には【取り残されたもの】が存在する。それは古の王朝の建物跡であったり、忘れ去られた薬の調合法であったり、自然にも人工的にも有り得ない地形であったり、何処かに秘められた財宝であったりする。……が、今日、これら以上に希少価値を認められているのが、古の魔法をかけられた楽器、『楽器変化ドラゴン』である。まだ魔法使いがこの世に多く存在していた時代、王宮には楽器兼ペットとして、ドラゴンに変化する楽器が大量に造られた。一時期それらは人間にたいへんちやほやされていたが、ある時、それが一斉に暴れだす大きな事件があった。ティンパニやホルン、ピッコロやチェロなど数多の種類の楽器が咆哮し、狂い暴れ、城下町をねり歩いて、甚大な被害を被った。事件後、危険視された楽器変化ドラゴンらは全滅令により次々と破壊され、その後造る事さえ禁止された。世界から、それらが消え去ったかのように思われた。
だが、どんな場合にも例外がある。何世紀も経った今、ある一人の男が楽器変化ドラゴンの製造方法を復活させた。その第1号が、セルリアンである。そんな珍しいものが狙われないはずがない。セルリアン以外の楽器変化ドラゴンだって、そう多くいるわけではない。だから、金持ちやコレクターに雇われた捜索隊が昼も夜もどこにだってうろついていた。
***
ラガフ、昼過ぎ頃。
派遣された捜索隊が、今日も駆けていた。彼らの表情は疲れ切り、限界を示している。雇っている主がそうとう厳しい命令を下しているのだろう。皆、目の下に隈があった。リーダーらしき人物が怒鳴り散らしているのが聞こえる。
「そっちはどうだ!?」
「駄目です!向こうには見当たりません!」
「見当たりませんで済むと思っているのか?我らの生活がかかっているのだっ!!」
ぶんっと風の擦れる音がした。けしてそのリーダーが怒りっぽいわけではないのだろう。周りの隊員が驚いたように振り返ったが、すぐにまた自分の仕事に取り掛かるため散開した。何人かは、
「お……落ち着いてください!」
などと言ってリーダーを宥めたりした者もいた。
そんな捜索隊のイザコザを、一本隣の少し人通りの少ないストリートで聞いている者がいた。先程まで演奏していたのだろう、彼女の側には一本の黒い譜面台と、満足そうに捌けていく人だかり。そして、礼をし笑顔を振りまく彼女の左手には、しっかりと─とても大事そうに─テナートロンボーンが握られていた。捌けていく人だかりの中には彼女の熱狂的ファンも多数いるようで、一緒に写真を撮ったり、サインを求める者もいた。それはそうだ。彼女は今でこそストリートでしか演奏していないが、元は有名なジャズ楽団の中心的存在だったのだから。彼女こそが、セピア。
一通り人が捌けると、セピアは家に戻るために片付けを始めた。譜面の入ったファイルをしまい、譜面台を折り畳んでしまい、楽器ケースを開ける。すると、マウスピースの辺りがするりと尻尾に変わった。同時に楽器が口を利いた。
『なぁ……今日の演奏高い音ばっかじゃなかったか……?』
「そぉ?原曲自体が高いしねー。そもそもあたし自身高音の方が得意だし」
『あっそ……』
呆れた楽器の尻尾は揺らめきながら足から腕、首と変化していく。その形態はもうこの世に本来の形で残っていないドラゴン(真竜)に似せた身体。そのテナートロンボーンのドラゴンこそがセルリアン。セピアはセルリアンをケースへはしまわなかった。バッグを持って立ち上がると、昼を過ぎてより活発になった太陽が、こちらを見ている。