第1話[2]

「……ねぇ、セル?」
不意にセピアは独り言のように呟いた。
「あんた、まだこの場所に居たいと思う?」
『……んー、ココはわりと良いトコロだったんだけどね』
「流石にアレじゃ無理でしょ?」
『増えたもんだねーあぁいううっさいの』
その返事はあまり妥当とは言えないが、この一人と一匹の会話は阿吽の呼吸も同然だった。
「この場所ももう去り時ね。引越決定」
『了解!』
遠くの丁字路を見た。召集がかかって退いていく捜索隊が確認できる。引越のチャンスは今かもしれない。
「じゃあ次は」
どこか楽しそうにも聞こえる声。
「どこに行こっか!」

***
 家に戻り、引越の準備をする。もともと必要なものしか置いていないので、少しバッグに入れるだけで収まってしまった。服などは一時的に従兄弟の家へ送っておくことにした。
「次にちゃんとした家に住めるのはいつだろうねー」
『さぁ?しばらく旅みたいな状態になるんじゃねえの?』
「そね。あ、セル、そこのウィンドチャイム取って」
『……へーへー』
 少し毛嫌いするように乱暴に手渡したウィンドチャイムは、それぞれがぶつかり合い、しゃらしゃらと音を立てる。セピアはそれを丁寧に袋に入れると、バッグの中にしまいこんだ。それが最後の荷物だったらしく、セピアはバッグの止め具をぱちんと締めた。
「ほれ、あんたも」
『……へーへー』
 同じ返事を二度繰り返す。一瞬元のトロンボーンに戻りかけたが、またドラゴンの形になった。
『なぁ』
 月色の瞳が真っすぐセピアを向いている。
『セピアはどうしておいらを吹いてくれるんだ?』
 片付け終わった手を休め、セピアは首だけこちらを向いた。今更どうしたという感じだが、これは不定期にセルリアンがふっかけてくる質問だった。
「あんただけじゃすぐに捕まるでしょ?」
『………』
 セルリアンの表情が凍り付いた。
「冗談」
 それもそうだけど、と悪ガキのように舌を出して言った。
「じーちゃんからもらった、とても大切なものだから。それにあたし、金持ちとかコレクターとか大嫌いだし」
 それから付け足すように言った。
「自分の楽器が生きてるなんて面白いじゃない?ついでに守ってあげてんの」
 付け足しの言葉は、何年もの付き合いの中でセルリアンが初めて聞いた言葉、セピアが初めて口にした言葉だった。この不定期な会話はセルリアンの存在意義を確認するものであったが、今の言葉はなかなか効いたらしい。しばらくぼーっとしていたが、すぐにトロンボーンに戻ってしまった。
 セピアはテキパキと解体を終えると、トロンボーンもケースに大事にしまいこんだ。
「よし!引越準備完了。今までごくろうさま!」
 肩にバッグをかけ、左手に楽器ケースを持つと、壁をトントンと叩いて、その家を後にした。
 もう、彼らがこの場所に戻ってくることはない。石は坂道を転げだし始めてしまったから。

***
 ラガフ、夕方頃。
 若い二人の捜索隊、あたりをきょろきょろ見回しながら歩いていた。闇雲に捜しているわけではない。背が低く、実年令より幼く見える方の手には、何か機械が握られている。その機械には数個のランプとボタンが付いており、短いアンテナも備え付けられている。捜索隊が持っているアンテナ付きの機械と言えば、この世界の者なら何であるかすぐにわかるだろう。  それは楽器変化ドラゴンの探知機だ。今はまだ、何も反応を示していない。近くを通れば、ランプが光る仕組みになっているのだろうか。
「せんぱーい、もう暗くなってきましたし、帰りましょうよぉ」
「何言ってんだお前!?今日こそ見つけないとあの御方にクビ切られるぞ!」
「それもそうですけどぉ……あいつらの目撃情報って朝か昼じゃないですかぁ。絶対今の時間帯にゃいませんってぇ」
「五月蝿い!とにかくもう少し捜せ!!」
 誰か特定のドラゴンを捜している。背が高い方はイライラからか、同じ道を行ったり来たりしていた。
「今日こそ、セルリアンを見つけなければ……」

***
『…ッ!!』
 セピアの歩くリズムと、それに揺れる楽器ケースのリズムがすれ違った。同時にぴくんという震えがセピアの身体に伝わる。
「どうしたの?」
 ケースの中を覗き見るようにセピアが尋ねた。
『……今さ、おいらの名前を呼ぶ声がしなかった?セピアじゃないよな?』
「うん、違うわよ。あたしは聞こえなかったけど……」
 その時だ。セピアが大分離れた場所に、捜索隊と思われる二人組の影を発見したのは。おそらく彼らが捜しているのは、セピアの持つケースの中にいるセルリアン。